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2022年6月26日 (日)

村上春樹と松原正(か?)

Facebookからの轉載)

 村上春樹の『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』(新潮文庫)83~87頁には「テネシー・ウィリアムズはいかにして見捨てられたか」と題して、早大演劇科在學時の話が書かれてゐる。ウィキペディアから引くと、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%81%AE%E6%A3%AE#cite_note-59

^ 早稲田大学の映画演劇科に入学した村上は、最初の講義の一つにテネシー・ウィリアムズの戯曲を英語で読む講座を選んだという。村上はエッセイの中で、「でもこの先生がいささか変わった人で、講義をしながらほとんど初めから終わりまでテネシー・ウィリアムズの悪口を並べ立てていた。」「おかげさまで僕は好きな作家を一人減らすことができた。どうもありがとうさん。」、「その遥か昔のテネシー・ウィリアムズの講義のことを思い出すたびに、『やはり人の悪口だけは書くまい』とつくづく思う」、「これは早稲田大学文学部が僕に与えてくれた数少ない生きた教訓のひとつである」と記述している[50]。

 また柴田元幸との對談では、次のやうに語つてゐる。
https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202103010001/

村上:では、翻訳の話をします。僕は25年ぐらい翻訳の仕事をしているんですけど、翻訳を正式には勉強したことはないんですよね。大学のときも、早稲田の演劇科というところに行っていて、英語を専門にやっているところではなかった。
 演劇科にいたときにあった英語の授業は一つぐらいかな。そうだ、テネシー・ウィリアムズを一年読んだんですよね。そのときの僕の先生というのが、テネシー・ウィリアムズが大嫌いなヒトだった。それなのに一年間ずっとテネシー・ウィリアムズを学生に読ませて、毎週悪口を言っていました。テネシー・ウィリアムズがいかに二流の書き手であって、戯曲の内容がいかにくだらないかというのを全部いちいち言うわけ。名前の付け方が気に入らないとかね、この筋の展開が気に入らないとか。僕はテネシー・ウィリアムズってわりと好きだったんだけど、一年後にはなんとなく嫌いになってた(笑)。だから大学の授業っていうのにはあんまりいい思い出がないんです。

柴田:アメリカ文学以外にも、英語に関する授業はいろいろあったんですか?

村上:いや、演劇科ではフランスとかドイツとかのほうが多くて、英語の授業は少なかったです。[後略]

 村上がこの思ひ出を持ち出すのは、要するに以下の事を主張したいからである。
https://onmymind.exblog.jp/18470690/

 何かを非難すること、厳しく批評すること自体が間違っていると言っているわけではない。すべてのテキストはあらゆる批評に開かれているものだし、また開かれていなくてはならない。ただ僕がここで言いたいのは、何かに対するネガティブな方向の啓蒙は、場合によってはいろんな物事を、ときとして自分自身をも、取り返しがつかないくらい損なってしまうということだ。そこにはより大きく温かいポジティブな「代償」のようなものが用意されていなくてはならないはずだ。そのような裏打ちのないネガティブな連続的言動は即効性のある注射漬けと同じで、一度進み始めるとあとに戻れなくなってしまうという事実も肝に銘じておかなくてはならないだろう。
〔略〕それよりはむしろ「これはいいですよ、これは面白いですよ」と言って、それを同じようにいいと思い、面白いと喜んでくれる人をたとえ少しでもいいからみつけたいと思っている。経験的に深くそう思う。これは早稲田大学文学部が僕に与えてくれた数少ない生きた教訓のひとつである。(「テネシー・ウィリアムズはいかにして見捨てられたか」86-7)

 上記の〔略〕の箇處、原文には、

遥か昔のテネシー・ウィリアムズの講義のことを思い出すたびに、「やはり人の悪口だけは書くまい」とつくづく思う。

とあるのだが(最初に引いたウィキペディアの註記參照)、このエッセイ全文を讀んでみれば、件のウィリアムズ扱き下ろし先生に關する結構な「惡口」になつてゐる事が解る。「おかげさまで僕は好きな作家を一人減らすことができた。どうもありがとさん。」――かういふ嫌味つたらしい口調からも村上の人の惡さが充分感じ取れるだらう。「早稻田大學文學部が僕に與へてくれた數少ない生きた教訓のひとつ」などとこれまた嫌味を言ひながら、いざその母校から自分の記念館設立を持ち掛けられたらホイホイと(?)話に乘る――如何にも俗物的だ。が、一往、本人の辯も紹介しておかう。
https://www.waseda.jp/top/assets/uploads/2018/11/murakami_haruki_20181104.pdf
 昨今は大學の單位認定にもおほらかさが失はれたので、もしかしたら今なら卒業できないかも知れぬ。

 それはともかく、「件のウィリアムズ扱き下ろし先生」は一體誰なのか。どうもこれは吾が師匠、早大名譽教授・故松原正先生ではあるまいか。念の爲、兄弟子の一人に訊いてみたところ、「村上の發言、多分、松原先生の講義についてのものでせう」との事であつた。ただ、村上在學中の早稻田大學第一文學部演劇科にそのやうな科目があつたとは、當時の講義要項や學科目配當表を調べてみても確認できなかつた。尤も、英文科には松原助教授擔當の「英米演劇」があつたが、「一年間ずつとテネシー・ウィリアムズを學生に讀ませ」るのではなく、複數の劇作家を取上げる講義(しかも主として英文科4年生對象)だから、これも違ふだらう。となると、本當にそのやうな講義はあつたのか?
 唯一考へられるのは、外國語科目としての「英語」の授業(語學に限らず今は半期が當り前だが、昔は殆ど全科目が通年だつた)。確かに松原助教授も幾つかのクラスを受持つてゐる。但し春樹青年の所屬クラスが何處だつたか判らぬ以上、文獻上で調べがつくのは最早ここまで、あとは本人に直接問ひ質すしかあるまいが、そこまでする氣は起らない。

 「何かに對するネガティブな方向の啓蒙」には「より大きく温かいポジティブな『代償』のやうなものが用意されてゐなくてはならないはずだ。そのやうな裏打ちのないネガティブな連續的言動は即效性のある注射漬けと同じで」云々と村上は言ふ。何とも淺はかな評である。松原先生(だつたとして、そ)の「ネガティヴな連續的言動」とやらには、「温かい」かどうかはともかく、「より大きく[中略]ポジティヴな『代償』のやうなものが用意されてゐな」かつたと果して言へるか。さういふもの無くして、「毎週」「講義をしながらほとんど初めから終はりまでテネシー・ウィリアムズの惡口を竝べ立て」るといふやうな情熱が涌くであらうか。「代償」や「裏打ち」はあつたに決つてゐる。作劇術はかくあるべしとの理想がそれであつたと(長年に亙つて指導を受けた私は)思ふ。それに照らして現實の戲曲を批判したのであつて、何ら論理的根據も無しにその時々の氣分で恣意的にただ「惡口を竝べ立て」た譯ではないのである。現に村上自身も、

テネシ-・ ウィリアムズを有効に罵倒する論理に――たしかに今思い出してもかなりうまく批判していた――感心さえした。(86頁)

と書いてゐる(とはいへ、これは先に擧げた「おかげさまで僕は好きな作家を一人減らすことができた。どうもありがとさん。」の直前の一文だから、多分に皮肉的な表現と言へよう)。さうであるならば、大學生當時は無理であつたとしても、今こそその「有效に罵倒する論理」をそれこそ「有效に罵倒」してみてはどうか。それが出來ぬのなら「感心さへした」などと嫌味は言はず、一切口を閉ざしてゐるがよい。
 「むしろ『これはいいですよ、これは面白いですよ』と言つて、それを同じやうにいいと思ひ、面白いと喜んでくれる人をたとへ少しでもいいからみつけたいと思つてゐる。」――今の御時世、かういふ「温かい」態度のはうが好まれるのだらうが、結局のところ、それが内輪襃め・馴合ひを生み、延いては文學の墮落を加速させてゐるのだと思はざるを得ない。いや、文學に限らぬ、現代日本人の生き方そのものに關はる由々しき問題ではあるまいか。

 以上の拙文、恩師辯護の爲にする單なる「惡口」には終つてゐないものと信ずる。

(早大英文科教授 岡田 俊之輔)

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コメント

御記事拜讀し、久し振りに、松原正先生の事を懐かしく思ひ出しました。「正確」を期する爲、次の事を附け加へさせて戴きます。
松原先生がまだ四十代の頃、私は直接、テネシー・ウィリアムズの「評價」についてうかがつた事があります。「『慾望と云ふ名の電車』については良い作品で、僕は大好きだ。大分落ちるが、『ガラスの動物園』は、ぎりぎり上演しても意味がある作品として認めてもよい。が、この二作品以外は上演に耐へない。」
 『慾望と云ふ名の電車』については、「民衆」の鼻持ちならぬ「俗物性」の批判としての要素を作品の主人公に見て居られたやうですが、主人公の「病んだ貴族性」をそこまで持つてゆくには、名優が必要でせう。
 とまれ、「文學部」で「文學」が講じられる事を望んでゐます。(K.K)

投稿: | 2022年7月 3日 (日) 12時53分

K.K 樣

私が存じ上げてゐる方かどうか判りませんが、この度は貴重なお話ありがたうございました。

投稿: 岡田俊之輔 | 2022年7月 3日 (日) 13時14分

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