« 布施明と Olivia Hussey | トップページ | 『松原正の本音でゆかう』Ed »

2017年8月14日 (月)

不毛な〝論爭〟

またしてもやつてしまつた。(苦笑)
結局、最後はかうなる。
https://www.facebook.com/takahiro.akihiko/posts/1456336861111192?comment_id=1456875214390690&comment_tracking=%7B%22tn%22%3A%22R%22%7D

|

« 布施明と Olivia Hussey | トップページ | 『松原正の本音でゆかう』Ed »

コメント

 この手の〝論爭〟が不毛に終るであらう事は經驗上、豫め織込濟みではあつたものの、「戰後レジームからの脱卻」とやらを標榜する所謂保守派の底の淺さには、いつもうんざりする。
 憲法と假名遣の變改も、結局は敗戰後遺症の産物である。左翼進歩派がそれを歡迎するのは解る。しかし右派ないし保守派が、憲法改正を主張しながら、それよりも遙かに遙かに大事な(文化の根幹に關はる)假名遣の問題では「戰後レジーム」を「保守」してゐるのは何とも歎かはしい。無關心なだけならまだしも人畜無害だが、現代假名遣ひを無批判・無意識のまま常用する一方で「舊假名」に難癖を附けるとは一體どういふ了簡であらうか。
 要するに、政治的なレヴェルでの「保守」にしか興味關心が無い連中ばかりといふ事であらう。『私の國語敎室』の著者・福田恆存が昔、松原正にかう言つたさうだ、「駄目だよ、こりや駄目だよ。隨分俺も一所懸命やつたけど、駄目だ」(圭書房刊『松原正全集』第二卷所收「福田恆存の思ひ出」)。その後の趨勢に鑑みても、この判定は實に正しかつたとしか評しやうが無い。

投稿: 岡田俊之輔 | 2017年8月14日 (月) 12時25分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 不毛な〝論爭〟:

« 布施明と Olivia Hussey | トップページ | 『松原正の本音でゆかう』Ed »